ひとつ願いがかなうなら 13 【追記にコメ返】
携帯の着信が鳴り響いたのは、午後三時。珍しく午後のおやつを楽しむ時間ができた、平日のことだった。
執務室の整頓を手伝ってくれていたクロームが用意したのは、チョコチップのパウンドケーキと、ダージリンの紅茶。クロームが淹れてくれる柔らかみのある紅茶は優しくて、オレがたぶん二番目に好きなお茶だった。
その一番目を淹れる人間が、電話の主。
「骸? どうしたの」
ディスプレイで確認した名前を呼んで訊ねたオレに、傍らにいたクロームがぱしりと長い睫を瞬かせる。骸様? と桜桃みたいな唇が声もなく紡いだのに、頷いて笑った。
ほんとに、クロームは骸が大好きだ。
『突然ですけど、今日の夜、僕の家に来られませんか。ちょっと急用ができまして』
「え、急用?」
ちょっとまって、と胸ポケットの手帳を取り出し、えっちらおっちら開いて今日の予定を探り当て、オレはしばし考え込んだ。
今晩は会食の予定が入っている。とびきり大事な用ではないが、行けるなら行った方がいい、程度の用事だ。骸の言う「急用」とやらは想像がつかないが、頭の中の天秤は骸に傾きつつあった。
「ん。分かった行く。あ、でも会食の予定があるから、それをリボーンに」
『会食はキャンセルで結構です。アルコバレーノも了承済みですよ。……なにせ、急用の原因を作ったのは彼ですからね』
「え? なにそれ」
要領を得ない――というか、なにかを包み隠しているような言葉に首をかしげていると、骸が僅かに息を呑む気配がした。緊張感が受話器越しに伝わってくる。
「骸?」
『すみません、ではまた後ほど!』
アリヴェデルチの代わりにチャオと告げて、骸はせわしなく通話を終了してしまう。疑問符を浮かべたまま取り残されたオレはもそもそと携帯をしまい、それからケーキを頬張った。
「……変なの」
どうしたんだろうねぇ、あいつ。なんて呟きながらクロームに視線を向けると、クロームは小さく首をかしげ、「いつものことだわ、ボス」と当たり前のように言ってくれた。
ああほんと、この子までしたたかになっちゃって。「でもそこが好きなんだよね」とは言わないでおく。だって、わかりきったことだ。
「そうだね」
にこりと笑って紅茶を一口。
「それじゃ、午後も頑張りますか」
「うん、頑張ろうね、ボス」
ふわりと優しい笑顔のクロームに頷いたその時、オレは、大切な子を失って冷えた心にようやく訪れはじめた平和が、揺らぐことになるなんて――知るよしもなかった。
* * *
仕事を終わらせて赴いた骸の家で、出迎えてくれたのは、白いカットソーと黒いジーンズ姿の骸だった。普段は結って背中に流している後ろ髪も、邪魔にならないようにまとめてアップにしていた。珍しい姿に目を丸くしたオレを部屋に上げて、骸が大きく息を吐く。
ソファに座って向き合って、お茶も出してくれないまま、骸が唇を開いた。
「僕はアルコバレーノの判断をそれほど間違ったことと思いませんし、むしろ賛同するくらいです。でもねぇ」
「はあ」
「僕がいつも暇だと思って貰っては困るんですよ。何でよりによって今日だったんでしょうね? 僕に予定があることくらい、彼なら判っていたでしょうし」
「……えっと」
「それも含めて、一番いいタイミングだったと言いたいのかも知れませんが」
彼はもう少し、僕にも気を使うべきなんですよ。
やや憤慨した口調でそう呟いた骸に、オレは困って首をかしげた。リボーンが何かをしたらしいのは判るし、今日、骸に予定があることも判った。けれど肝心なところが見えてこない以上、オレにはなにも言えない。
だって、分かりもしないで適当に相槌を打って同調したら、骸は気づいた瞬間に怒るから。
ええと、と曖昧な微苦笑を浮かべるオレに、骸が大きく息を吐く。まあいいでしょう、と唇が動いた。
「端的に言えば、君にお願いしたいのは留守番です。ちょっと目を離せない生き物を預かっていまして。その面倒を見ていただきたい」
朝には帰ってこられるとよいのですが。なんて言いながら骸が立ち上がる姿をぼんやりと見守り、オレはわずかに首をかしげた。骸が向かったのは寝室で、ぱたんと閉じた扉の音が、改めてオレをひとりぼっちにする。
生き物……生き物?
どういうこと、と口にしかけたタイミングで、骸が寝室から戻り――オレは、言葉を失った。
「目を離せない生き物、です」
骸が抱き上げているのは、人の子供だ。二足歩行ができるくらいには大きくなった、黒い髪とまるい頭の、子供。むずがるように骸の首筋に額を擦りつける子の黒髪がさらりと揺れて、その横顔が露わになった。
指先がカタカタと震える。
目を見開いて呼吸すらできないオレに、骸が微苦笑を浮かべ、その子の耳元になにかを囁いた。子供がびくりと身体を震わせて、恐る恐る、顔をこちらへ向けてくる。丸くて黒い瞳が見開かれ、小さな口が、ぐしゃりと歪んだ。ぼろぼろと目尻からこぼれ落ちた雫を、拭わなければいけない気になって、反射で立ち上がる。
「優弥」
どうして。
よろよろと歩み寄るオレに、優弥が手を伸ばす。「つー!」と、泣き濡れた声で叫ぶ。微苦笑を浮かべた骸が差し出した身体を受け取って、感じたぬくもりは、重たかった。
「なんで、優弥が」
「この子のパパがちょっとマズい状態だったみたいです。アルコバレーノが、少しくらい息子と離れて休みをとれ、って。……つー、つー、ってずっと君のこと呼んでましたよ」
ねぇ、と微笑する骸には目もくれず、優弥はオレの胸に額を擦りつけて、小さな手のひらでオレの服をぎゅっと握りしめた。離すまいとしがみつく子をはねのけられるわけなんてなく、オレは現実味の薄い体温を確かめるように、優弥を抱く腕の力を少しだけ強くした。
「……優弥?」
しゃくり上げる優弥の涙が、じわりじわりと服に染みこむ。抱えなおして、頬をすり寄せて、そのなめらかで柔らかい頬に、ようやく、腕の中の優弥が現実なのだと実感した。
暖かくて、愛しい――オレの、大事な子。
「優弥」
認識した途端に耐えきれなくなった涙腺が緩んで、視界が滲んだ。目の奥が熱くて、鼻がツンとする。
「ごめんね……優弥」
ぎゅっと抱いた優弥の体温に、決意する。
「もう二度と……離さないから。傍に、いるから」
たとえ、どんな辛いことが待ち受けていたとしても。
執務室の整頓を手伝ってくれていたクロームが用意したのは、チョコチップのパウンドケーキと、ダージリンの紅茶。クロームが淹れてくれる柔らかみのある紅茶は優しくて、オレがたぶん二番目に好きなお茶だった。
その一番目を淹れる人間が、電話の主。
「骸? どうしたの」
ディスプレイで確認した名前を呼んで訊ねたオレに、傍らにいたクロームがぱしりと長い睫を瞬かせる。骸様? と桜桃みたいな唇が声もなく紡いだのに、頷いて笑った。
ほんとに、クロームは骸が大好きだ。
『突然ですけど、今日の夜、僕の家に来られませんか。ちょっと急用ができまして』
「え、急用?」
ちょっとまって、と胸ポケットの手帳を取り出し、えっちらおっちら開いて今日の予定を探り当て、オレはしばし考え込んだ。
今晩は会食の予定が入っている。とびきり大事な用ではないが、行けるなら行った方がいい、程度の用事だ。骸の言う「急用」とやらは想像がつかないが、頭の中の天秤は骸に傾きつつあった。
「ん。分かった行く。あ、でも会食の予定があるから、それをリボーンに」
『会食はキャンセルで結構です。アルコバレーノも了承済みですよ。……なにせ、急用の原因を作ったのは彼ですからね』
「え? なにそれ」
要領を得ない――というか、なにかを包み隠しているような言葉に首をかしげていると、骸が僅かに息を呑む気配がした。緊張感が受話器越しに伝わってくる。
「骸?」
『すみません、ではまた後ほど!』
アリヴェデルチの代わりにチャオと告げて、骸はせわしなく通話を終了してしまう。疑問符を浮かべたまま取り残されたオレはもそもそと携帯をしまい、それからケーキを頬張った。
「……変なの」
どうしたんだろうねぇ、あいつ。なんて呟きながらクロームに視線を向けると、クロームは小さく首をかしげ、「いつものことだわ、ボス」と当たり前のように言ってくれた。
ああほんと、この子までしたたかになっちゃって。「でもそこが好きなんだよね」とは言わないでおく。だって、わかりきったことだ。
「そうだね」
にこりと笑って紅茶を一口。
「それじゃ、午後も頑張りますか」
「うん、頑張ろうね、ボス」
ふわりと優しい笑顔のクロームに頷いたその時、オレは、大切な子を失って冷えた心にようやく訪れはじめた平和が、揺らぐことになるなんて――知るよしもなかった。
* * *
仕事を終わらせて赴いた骸の家で、出迎えてくれたのは、白いカットソーと黒いジーンズ姿の骸だった。普段は結って背中に流している後ろ髪も、邪魔にならないようにまとめてアップにしていた。珍しい姿に目を丸くしたオレを部屋に上げて、骸が大きく息を吐く。
ソファに座って向き合って、お茶も出してくれないまま、骸が唇を開いた。
「僕はアルコバレーノの判断をそれほど間違ったことと思いませんし、むしろ賛同するくらいです。でもねぇ」
「はあ」
「僕がいつも暇だと思って貰っては困るんですよ。何でよりによって今日だったんでしょうね? 僕に予定があることくらい、彼なら判っていたでしょうし」
「……えっと」
「それも含めて、一番いいタイミングだったと言いたいのかも知れませんが」
彼はもう少し、僕にも気を使うべきなんですよ。
やや憤慨した口調でそう呟いた骸に、オレは困って首をかしげた。リボーンが何かをしたらしいのは判るし、今日、骸に予定があることも判った。けれど肝心なところが見えてこない以上、オレにはなにも言えない。
だって、分かりもしないで適当に相槌を打って同調したら、骸は気づいた瞬間に怒るから。
ええと、と曖昧な微苦笑を浮かべるオレに、骸が大きく息を吐く。まあいいでしょう、と唇が動いた。
「端的に言えば、君にお願いしたいのは留守番です。ちょっと目を離せない生き物を預かっていまして。その面倒を見ていただきたい」
朝には帰ってこられるとよいのですが。なんて言いながら骸が立ち上がる姿をぼんやりと見守り、オレはわずかに首をかしげた。骸が向かったのは寝室で、ぱたんと閉じた扉の音が、改めてオレをひとりぼっちにする。
生き物……生き物?
どういうこと、と口にしかけたタイミングで、骸が寝室から戻り――オレは、言葉を失った。
「目を離せない生き物、です」
骸が抱き上げているのは、人の子供だ。二足歩行ができるくらいには大きくなった、黒い髪とまるい頭の、子供。むずがるように骸の首筋に額を擦りつける子の黒髪がさらりと揺れて、その横顔が露わになった。
指先がカタカタと震える。
目を見開いて呼吸すらできないオレに、骸が微苦笑を浮かべ、その子の耳元になにかを囁いた。子供がびくりと身体を震わせて、恐る恐る、顔をこちらへ向けてくる。丸くて黒い瞳が見開かれ、小さな口が、ぐしゃりと歪んだ。ぼろぼろと目尻からこぼれ落ちた雫を、拭わなければいけない気になって、反射で立ち上がる。
「優弥」
どうして。
よろよろと歩み寄るオレに、優弥が手を伸ばす。「つー!」と、泣き濡れた声で叫ぶ。微苦笑を浮かべた骸が差し出した身体を受け取って、感じたぬくもりは、重たかった。
「なんで、優弥が」
「この子のパパがちょっとマズい状態だったみたいです。アルコバレーノが、少しくらい息子と離れて休みをとれ、って。……つー、つー、ってずっと君のこと呼んでましたよ」
ねぇ、と微笑する骸には目もくれず、優弥はオレの胸に額を擦りつけて、小さな手のひらでオレの服をぎゅっと握りしめた。離すまいとしがみつく子をはねのけられるわけなんてなく、オレは現実味の薄い体温を確かめるように、優弥を抱く腕の力を少しだけ強くした。
「……優弥?」
しゃくり上げる優弥の涙が、じわりじわりと服に染みこむ。抱えなおして、頬をすり寄せて、そのなめらかで柔らかい頬に、ようやく、腕の中の優弥が現実なのだと実感した。
暖かくて、愛しい――オレの、大事な子。
「優弥」
認識した途端に耐えきれなくなった涙腺が緩んで、視界が滲んだ。目の奥が熱くて、鼻がツンとする。
「ごめんね……優弥」
ぎゅっと抱いた優弥の体温に、決意する。
「もう二度と……離さないから。傍に、いるから」
たとえ、どんな辛いことが待ち受けていたとしても。
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USB 【追記からコメント返信】
ネタとか小説とか書きためて、過去に出した本のデータが全部入ってるUSBを洗濯しました!
もうしばらく前になるけど…。
すすぎ行程まで待たなかったのが悪かったのか、乾きが悪かったのか……データ全部飛びました。書きかけのネタも含めて。はい。「ひとつ~」とか、「戦争」とかも全部。
同じ話の流れは二度とかけない(表現とか、そういう意味で)から、とてもしんどいです。気持ちが。
すごく気に入っていて、もうすぐ終わり! ってところまで書いてるヒバツナもありました。これが一番しんどい。
ペースは落ちるかと思いますが、じょじょに書き直したり、していこうとは思います。
とりあえずこういう出来事があったよ! という報告だけ(苦笑)。
今度から、バックアップ大事にします。
もうしばらく前になるけど…。
すすぎ行程まで待たなかったのが悪かったのか、乾きが悪かったのか……データ全部飛びました。書きかけのネタも含めて。はい。「ひとつ~」とか、「戦争」とかも全部。
同じ話の流れは二度とかけない(表現とか、そういう意味で)から、とてもしんどいです。気持ちが。
すごく気に入っていて、もうすぐ終わり! ってところまで書いてるヒバツナもありました。これが一番しんどい。
ペースは落ちるかと思いますが、じょじょに書き直したり、していこうとは思います。
とりあえずこういう出来事があったよ! という報告だけ(苦笑)。
今度から、バックアップ大事にします。